韓国の女性グループaespaのメンバー、ニンニンが過去に原爆のきのこ雲を想起させるランプの写真をファンアプリに投稿していた件をめぐり、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が「対応しない」と表明したことに、強い違和感を覚えた人は少なくないだろう。
被団協は、首相官邸筋による「核兵器保有」オフレコ発言に対しては即座に抗議声明を出した。一方で、原爆を想起させる表現を含むファンアプリについては、「削除済み」「悪意は確認されていない」「NHKが意図を確認した」として問題視しない姿勢を示した。
この対応の差は単なる個別判断なのか、それとも被団協が掲げてきた理念そのものに関わる問題なのか。本稿では感情論ではなく、「一貫性」という観点から考えてみたい。
被団協という団体の公共性
被団協は、被爆者の証言を世界に伝え、核兵器廃絶を訴え続けてきた日本を代表する団体である。その活動は長年にわたり国内外で評価され、ノーベル平和賞受賞によって国際的な信頼も高まった。
だからこそ、被団協の発言や行動は単なる「一団体の意見」ではなく、公共的な意味を持つ。特定の案件に「対応しない」と判断すること自体は否定されるものではないが、その基準が説明されなければ、団体の信頼性そのものが問われることになる。
なぜaespaニンニンは「対象外」なのか
被団協が示した理由は主に三点である。
- 問題の投稿はすでに削除されている
- 原爆を揶揄・軽視する意図は確認されていない
- NHKが所属事務所に確認している
形式的には理解できる説明だ。しかし、多くの人が抱く疑問はこうだ。
もし日本人芸能人が同じ投稿をしていた場合、被団協は同じ判断をしただろうか。
被団協は過去、日本国内の政治家、自治体、企業、教育現場の表現に対し、強く抗議してきた実績がある。投稿が削除されていても、意図が曖昧でも問題視された例は少なくない。
二重基準と受け取られる危険性
重要なのは、「被団協が間違っている」と断定することではない。問題は、判断基準が国籍や立場によって変わっているように見えてしまう点にある。
- 日本人には厳しい
- 外国人には寛容
- 国内問題には即反応
- 海外案件には慎重
このように受け取られた時点で、被団協が最も大切にしてきた「核兵器は一発たりとも許されない」という普遍的理念は揺らぐ。理念は、誰が行ったかではなく、何が行われたかで判断されるべきだ。
被団協は政治的なのか
一部では、被団協の姿勢について特定のイデオロギーとの近さを指摘する声もある。しかし、本質的な問題は思想の中身ではない。
どのような政治的立場を持っていようと、行動が一貫していれば問題にはならない。逆に、行動がぶれれば、その時点で公共的団体としての信頼性が損なわれる。
今後、真価が問われるのは「次の事例」
今回のaespaニンニンの件について、今から判断を覆す必要はない。しかし、被団協にとって本当の試金石は、次に起きる同種の事例である。
もし今後、日本人や日本の芸能人が同様の表現をSNSに投稿した際、被団協が「今回と同様に対応しない」と判断できるかどうか。そこで対応が変われば、二重基準は事実として受け止められてしまう。
結論:理念は行動でしか証明できない
被団協がこれまで果たしてきた役割を否定する必要はない。しかし、公共的団体である以上、「説明責任」と「一貫性」から逃れることはできない。
核兵器廃絶という重い理念は、言葉ではなく行動によってのみ信頼される。今回の判断が例外なのか、新しい基準なのかは、今後の対応によって明らかになるだろう。
だからこそ私たちは、感情的に糾弾するのではなく、静かに、しかし厳しく注視する必要がある。それは被団協を貶めるためではない。核廃絶という理念を、本当に守り続けるためである。

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