前回の記事では、NHKがもはや「公共放送」と呼べる状態にない理由を整理した。
では次の疑問が浮かぶ。
なぜ、ここまでおかしな組織になってしまったのか。
なぜ、内部から修正できないのか。
この問いに答える鍵は、日本社会がかつて経験した
国鉄末期の組織崩壊にある。
国鉄末期とNHKの驚くほどの共通点
国鉄は、鉄道という社会に不可欠なインフラを担っていた。
価値そのものは否定されていなかった。
それでも国鉄は解体された。
理由は単純だ。
組織として、もはや自分を修正できなくなっていた
NHKも今、同じ地点に立っている。
共通点① 利用者の評価が経営に反映されない
国鉄末期は、
- 利用者が減っても赤字が増えても
- 経営陣の責任は曖昧
- 組織は温存され続けた
NHKも同じ構造だ。
- 見られなくても収益は入る
- 不満があっても契約解除できない
- 支持率が経営責任にならない
結果として、
利用者(国民)の声が経営に届かない。
これは、どんな組織でも必ず腐る条件である。
共通点② 内部論理が絶対化する
国鉄では、
- 現場
- 組合
- 本社
- 監督官庁
それぞれの内部論理が絡み合い、
「国鉄であること」自体が目的化していた。
NHKも同様だ。
- NHKイズム
- 編集思想
- 生え抜き人事
- 関連団体
これらが固定化し、
「外の評価より、内の正しさ」
が最優先される。
外部批判は改革の材料ではなく、
秩序を乱すノイズとして扱われる。
共通点③ トップが内部昇進で固定される
国鉄もNHKも、
- トップは内部昇進
- 外部視点が入らない
- 過去の否定ができない
という共通点を持つ。
生え抜きトップが悪いわけではない。
問題は、
組織の価値観を疑えない人物しかトップになれない
構造そのものだ。
結果として、
- 問題の総括は形式的
- 改革は看板倒れ
- 本質的変更は起きない
共通点④ 「公共性」「公益性」が免罪符になる
国鉄では、
- 赤字=公共性の証
- 非効率=必要悪
という理屈が使われた。
NHKでは、
- 批判=理解不足
- 不満=公共性への誤解
という形で現れる。
本来、公共性とはより厳しい責任を意味する。
しかし組織が劣化すると、公共性は責任回避の道具になる。
なぜ内部改革が不可能なのか
ここが最も重要な点だ。
NHKに改革が起きないのは、
- やる気がないからでも
- 能力がないからでもない
改革すると、組織の存在理由そのものが揺らぐからである。
- 強制徴収を前提とした経営
- 選ばれない前提の公共性
- 制度依存型の自己正当化
これらを否定する改革は、
NHK自身の否定につながる。
だから改革は起きない。
国鉄がどうなったか
国鉄は、
- 努力目標
- 組織改革
- 経営改善
を何度も掲げた。
しかし結果として必要だったのは、
分割民営化という外科手術
だった。
国鉄という組織を壊し、
JRという別の仕組みに作り替えたことで、
初めて利用者と向き合う組織になった。
NHKも同じ地点にいる
NHKは今、
- 価値ある番組も存在する
- 放送という機能も必要
- しかし組織は修正不能
という、国鉄末期と完全に同じ状態だ。
だから、
- 人事刷新では足りない
- 会長交代では意味がない
- 内部改革は幻想
となる。
結論
NHKが改革できない理由は明確だ。
- 選ばれない構造
- 内部論理の絶対化
- 生え抜きトップ
- 公共性の私物化
これらが絡み合い、
改革不能な巨大組織になっている。

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