NHKに民主主義を取り戻す唯一の方法――「政治家によるガバナンス」か「スクランブル放送」か


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導入:NHKはなぜ、ここまで国民の声を無視できるのか

NHKに対する国民の不満や批判は、もはや一過性の感情論ではない。
受信料制度、番組編集の偏り、説明責任の欠如、国会での不誠実な答弁。
これらはすべて「構造的な問題」であり、個々の不祥事や番組内容の是非を超えた次元にある。

にもかかわらず、NHKは態度を改めない。
謝罪はあっても自己改革はなく、説明はあっても責任の所在は曖昧なままだ。

なぜ、ここまで国民の声を無視できるのか。
その答えは極めて単純である。

NHKの意思決定層が、国民から何一つ失うものがない立場にいるからだ。


民主主義における「恐怖」とは何か

民主主義は、理想論ではなく「恐怖の制度」である。

政治家はなぜ国民の声を無視できないのか。
それは次の選挙で落選する恐怖があるからだ。

  • 支持を失えば職を失う
  • 批判を軽視すれば権力を失う
  • 国民感情を無視すれば政治生命が終わる

この「恐怖」こそが、民主主義における最大のガバナンス装置である。

ところがNHKの経営幹部や編集責任者には、この恐怖が一切存在しない。

  • 選挙はない
  • 国民評価で失職しない
  • 視聴されなくても受信料は入る

つまりNHKは、民主主義に必要な緊張関係を完全に欠いた組織なのである。


なぜ「外部人材」だけでは足りないのか

「NHK部長級以上を外部人材で定期的に入れ替えれば改善する」という意見は一見もっともらしい。
しかし、ここには決定的な欠陥がある。

それは、

外部人材であっても、国民に選ばれていなければ意味がない

という点だ。

  • 学者
  • 元官僚
  • 民間経営者

これらはすべて「優秀な人材」かもしれない。
だが、彼らは国民の投票によって地位を得ているわけではない。

選挙に落ちる恐怖がない人間は、最終的には組織論理に回収される。
NHKの村社会に適応し、空気を読み、無難な判断を重ねるだけだ。

つまり**「外部」かどうかではなく、「国民に縛られているかどうか」**が本質なのである。


なぜ「政治家」なのか

ここで初めて、「政治家」という選択肢が合理性を持つ。

政治家には、NHK職員には決定的に欠けているものがある。

  • 国民の評価を常に気にする
  • 世論の変化に敏感
  • 不評なら次がない

あなたが言う通り、

選挙に落ちたくないなら、国民の意思を入れようとする

これは感情論ではなく、制度論として極めて正しい。

NHK部長級以上を、
・現職または元国会議員
・一定期間で交代
・編集方針や経営判断に関与

こうした仕組みにすれば、少なくとも以下は起きなくなる。

  • 国民感情を無視した番組編成
  • 批判に対する霞が関構文的答弁
  • 「公共放送」を免罪符にした傲慢な態度

政治介入を恐れる声もあるが、今のNHKは国民を介さない「無責任な独立」状態であり、むしろこちらの方が民主主義にとって危険だ。


それが嫌なら、スクランブル放送しかない

もしNHKが、

  • 政治家の関与は嫌だ
  • 国民の統制も受けたくない
  • しかし受信料は強制徴収したい

という立場を取り続けるなら、答えは一つしかない。

スクランブル放送化である。

スクランブル化とは、

  • 見たい人だけが払う
  • 見られなければ淘汰される
  • 市場で評価される

これは民放と同じ、極めて健全な仕組みだ。

「公共性が失われる」という主張は詭弁である。
公共性とは「強制」ではなく「信頼」から生まれるものだからだ。


NHKに残された二つの道

NHKに残された道は、もはや二つしかない。

  1. 政治家を通じて国民の意思を組織に組み込む
  2. スクランブル放送化し、市場に委ねる

どちらも嫌だという選択肢は存在しない。
なぜならNHKは、準租税である受信料を徴収する特権を持つ以上、
民主主義的統制から逃れる権利はないからだ。

今のNHKは「公共放送」ではない。
制度に寄生することでのみ存在を許されている組織にすぎない。

国民の意思を入れるか、国民に選ばれるか。
それが嫌なら、公共放送を名乗る資格はない。


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