NHKはなぜ「公共放送」を名乗る資格を失ったのか――民主主義国家における統治不能な権力の正体


NHKは長年「公共放送」を名乗り、日本社会において特別な地位を占めてきた。しかし近年、その正当性は急速に失われつつある。受信料という準租税を強制徴収しながら、国民の意思も、市場の評価も、政治の統制も受け付けない。その姿はもはや公共放送ではなく、民主主義社会において極めて危険な「統治不能の権力組織」と化している。本稿では、NHK問題の最終的な本質を整理し、なぜスクランブル放送化による法改正が不可欠なのかを論じる。


目次

民主主義社会における「統治される権力」という原則

民主主義国家において、権力を持つ組織は必ず統治の枠組みに組み込まれる。具体的には次の三つである。

  • 市場原理による統治(選ばれなければ収益が減る)
  • 政治による統治(議会・選挙・説明責任)
  • 法による統治(違法行為への制裁)

このいずれか、あるいは複数が機能して初めて、権力は暴走を防がれる。
問題は、NHKがこの三つすべてから事実上逃れている点にある。


NHKが拒否している二つの統治

NHKはまず、市場原理による統治を拒否している。スクランブル放送化を拒み、視聴の有無にかかわらず受信料を徴収する仕組みを維持しているからだ。
同時にNHKは、政治による統治も「政治介入」「編集の自由」を盾に拒否してきた。

結果として、

  • 見なくても金を取る
  • 批判されても判断は変えない
  • 国会で問われても霞が関的答弁でかわす

という、国民の意思が一切反映されない構造が完成している。


aespa紅白出場問題が暴いた決定的事実

aespaの紅白歌合戦出場をめぐる一連の騒動は、この構造を象徴的に示した。
反対の署名が集まり、記者会見が行われ、現職国会議員が問題提起しても、NHKは判断を変えなかった。

重要なのは、誰が欠席したかではない。
aespaを出場させたという事実そのものが、国民の意思が無視された証拠となった点である。

この瞬間、NHKは自らこう宣言したに等しい。

国民の声は、我々の意思決定に影響しない


「半独立組織」という最も危険な形

NHKは国営放送ではない。だが民間放送でもない。
それでいて準租税を強制徴収する権限を持つ。

これは、

  • 国営のような権力
  • 民間のような責任回避
    を併せ持つ、最悪の組織形態である。

完全な国営放送なら政治責任が明確だ。
完全な民営放送なら市場が淘汰する。

しかしNHKは、そのどちらにも縛られない「半独立組織」となり、
誰も最終責任を取らない権力になっている。


スクランブル放送化はNHK解体論ではない

スクランブル放送化は、NHKを潰すための制度ではない。
民主主義社会に必要な「統治」を回復するための制度である。

  • 見たい人が払う
  • 支持される番組が残る
  • 公共性は信頼によって証明される

これが民主主義国家における、当たり前の姿だ。


結論 法改正は「急進改革」ではなく「制度修復」である

NHKはもはや、自主的に変わる段階を過ぎている。
だからこそ必要なのは、制度そのものの修正だ。

  • 市場原理を拒否するなら政治の統制を受けよ
  • 政治の統制を拒否するならスクランブル化せよ

この二択しかない。

民主主義社会において、
統治されない権力が存在することこそが最大の危機である。

NHKスクランブル放送化を可能にする法律改正は、
急進的改革ではない。
民主主義国家としての整合性を取り戻すための、
最低限の制度修復なのだ。


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