マス・メディアを批判する声は今に始まったことではない。「偏向報道」「既得権益」「記者クラブ」「電波利権」——これらはもはや慣用句のように繰り返されてきた言葉である。だが、問題の根はもっと深く、そしてもっと単純だ。マス・メディアは“構造的に変われない組織”なのだ。
マス・メディアの「閉鎖性」という病理
マス・メディアは情報の公共財を扱うはずの組織である。しかし内部の構造は極めて閉鎖的だ。記者クラブという制度はその象徴であり、新しい情報を外部の視点から得るよりも、官庁や大企業など“情報源の常連”に依存してしまう。
結果として、彼らの世界は極めて狭い。取材対象との距離が近すぎるために、取材相手の論理をそのまま「事実」として流してしまう。こうしてニュースは一次資料から遠ざかり、発信者が望む物語に沿った「安全な記事」に変換される。
自己否定ができない組織文化
マス・メディアは、自らの誤報や偏向を検証することを極端に嫌う。本来であれば報道機関は自浄能力を持つべきだが、日本のマス・メディアは“内部批判=裏切り”とみなす文化を持っている。
若手が異議を唱えても、先輩記者に「空気を読め」と封じられる。編集会議で異なる意見を出しても、「社の方針」に回収される。こうして、内部の多様性は削がれ、「従順な記者」だけが生き残る構造ができあがる。
「視聴率」と「広告収入」が編集を歪める
テレビ局や新聞社が最も恐れるのは、スポンサー離れだ。つまり、報道の“独立性”よりも“収益構造”のほうが強い。
ニュース番組のテーマひとつとっても、スポンサー企業に不都合な内容は避けられ、政権批判も“空気”を読みながら調整される。そこには、ジャーナリズムの理想よりも「会社員としての保身」が優先される現実がある。
「優秀な人材」が入らない理由
東大や早慶などの上位層の学生ほど、マス・メディアを“魅力のない職場”と見ている。理由は単純だ。「成果より年功」「理想より忖度」「挑戦より安定」——この3つが揃っている組織に、創造的な人材は集まらない。
記者という仕事は本来、現場での感性と知性を問われる職業だ。しかし現実は、組織内で“空気を読む力”ばかりが重視される。これでは、若手の知的好奇心も、社会を変えようという情熱も、次第に失われていく。
「変われない組織」はどうなるのか
マス・メディアは、構造的に“外圧”がないと動かない。ネット報道、SNS、個人発信者の台頭によって、既にその地位は確実に侵食されている。
それでも彼らは変わらない。なぜなら、自らの特権構造を壊すことは、自分たちの存在意義を否定することになるからだ。
だが、時代は待ってくれない。人々は一次資料を自ら読み、現場の声を直接知る手段を手にした。もはや「マス・メディアが報じないことは存在しない」という時代ではない。
結論:沈みゆく船の中で
マス・メディアが変わることはない。それは怠慢ではなく、構造の問題だ。情報の独占を前提とした産業モデルは、情報が民主化された今、存在理由を失いつつある。
そして国民もまた、もはや「テレビが言っていたから」では動かない。信頼を失った報道機関は、いくら立派なスローガンを掲げても再生できない。
変われない組織は、ゆっくりと沈む——その過程を、私たちは今まさに目撃している。

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