男女平等という言葉が歪められている
近年、「女性が制度的に不利だ」という主張を耳にする機会が多くなった。だが冷静に考えれば、現代日本において法律や就業規則の上で女性が差別されている例はほとんど存在しない。むしろ、昇進・評価・採用のすべてにおいて男女平等が制度的に保証されている時代である。
それにもかかわらず、「女性が上に上がれないのは制度が悪い」という論調が繰り返されるのはなぜか。答えは単純である。彼女たちは“平等”ではなく、“優遇”を求めているからだ。
出世とは犠牲の量に比例する
企業社会の現実を直視すれば分かるように、出世や昇進は「犠牲の量」に比例している。責任を取り、長時間働き、家庭やプライベートを後回しにして成果を上げる――そのような人間が評価されるのは当然のことだ。
男性であっても、プライベートを優先する社員が出世しないのは当たり前だ。つまり「家庭や私生活を優先したい」という選択を取る以上、男女問わず昇進が遅れるのは自然な結果であり、差別ではない。
制度的不利という言葉のトリック
「女性が制度的に不利」という言葉は、実態をすり替えるトリックになっている。制度そのものに差がない以上、“不利”というのは、単に働き方や優先順位の違いを指しているだけだ。
つまり、「家庭を優先しながらも男と同じ地位を得たい」という主張は、平等ではなく特別待遇の要求に過ぎない。成果主義の社会では、責任と報酬は常にセットである。そこに性別は関係ない。
真の平等とは「同じ条件で競うこと」
平等とは「同じ条件で競えること」であり、「同じ結果を保証されること」ではない。成果に応じて評価される社会は、男女双方にとって公平である。女性だけを特別扱いする社会は、平等を名乗りながら新たな不平等を生み出すだけだ。
企業は慈善団体ではない。営利組織として成果を求めるのは当然のことだ。働く意欲と責任を持つ人間が上に立つ――それが健全な社会の原則であり、性別の問題ではなく、覚悟の問題である。
結論:平等とは権利よりも覚悟である
本当の意味で男女が平等になるのは、同じ覚悟で働き、同じ責任を負うようになったときだ。制度のせいにして優遇を求める限り、いつまでも「被害者の立場」から抜け出すことはできない。社会の仕組みを責める前に、自分の生き方と向き合うことこそが、真の平等への第一歩である。
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