毛新宇に見る人民解放軍の堕落と末期症状――血統と腐敗が生んだ「戦えない軍隊」
中国人民解放軍は、かつて「農民の軍」「革命の軍」として民衆の支持を背景に成長した。しかし、現代の人民解放軍はその理念を失い、腐敗と特権にまみれた「支配を守る軍」へと変質している。その象徴的存在こそ、毛沢東の孫である毛新宇である。彼の姿は、もはや軍人というより「体制のマスコット」であり、戦う意思を失った軍の現実を映す鏡である。
血統主義が軍の能力を奪う
毛新宇は毛沢東の血を引くという理由だけで将官の地位にあるが、軍歴も戦略的訓練もない。彼が登用されたのは実力ではなく「象徴性」のためだ。これは、もはや軍が実力主義ではなく「血統と忠誠」で成り立つ封建的組織へと退化していることを意味する。かつての革命精神は死に、官僚的な階層構造が軍の隅々まで浸透している。
兵士たちは上官を尊敬できず、努力しても報われない現実を知っている。彼らが忠誠を誓うのは国家でも人民でもなく、体制そのものである。戦場に出ても、その忠誠心はすぐに崩壊するだろう。戦う前に士気が折れる軍隊ほど危ういものはない。
軍幹部の腐敗と政治支配
人民解放軍の上層部は、軍人というよりも「党の官僚」である。出世の条件は忠誠の演出であり、戦略的判断力ではない。軍の中枢には共産党中央軍事委員会が君臨し、現場指揮官は上層の許可なしに動けない。情報伝達には時間がかかり、判断は常に遅れる。現場が危機に瀕しても、中央の承認を待つ構造が災いし、戦闘は混乱に陥る。
これはまさに清朝末期の八旗軍やローマ帝政末期の近衛兵と同じ構造である。権力を守るための軍は、国家を守るためには戦えない。腐敗は頂点から始まり、士気は底辺から崩壊する。毛新宇のような人物が上層に立つこと自体、軍が自らの腐敗を正当化する儀式である。
特権階級と化した「人民の軍」
現代の人民解放軍幹部は、かつての農民兵とはほど遠い。彼らは豪邸に住み、家族は外国籍を取得し、海外資産を隠し持つ。いわゆる「紅二代」「紅三代」と呼ばれる特権層であり、彼らにとって軍服は「権威の記号」でしかない。腐敗摘発のニュースも、実態は派閥闘争の見せしめでしかなく、体制の浄化とは無縁だ。
こうした構造の中で、軍はもはや「人民の軍」ではなく「体制の防衛機関」へと変わった。兵士の士気は低く、指導層の忠誠も打算的だ。戦争が長期化すれば、内部から瓦解する可能性が高い。ベトナム戦争時の中国軍が数週間で撤退したように、局地戦でさえ継続不能な体質は今も変わっていない。
毛新宇は体制の鏡である
毛新宇の存在を笑うことは容易だ。しかし、問題は彼の個性ではなく、彼の存在を許す体制そのものである。実力を無視し、血統を重んじる国家は、必ず衰退の道を歩む。毛新宇は、人民解放軍が「戦う軍」から「崇拝される軍」へと堕落したことを示す象徴なのだ。
もはや人民解放軍は、人民のために戦う軍ではない。権力を守るために存在する軍であり、兵士たちは犠牲として数えられるだけである。毛新宇という将官の姿は、肥大化した体制が自らの重みで崩壊する前兆を映し出している。彼が前線に立つ日は決して来ないだろう。なぜなら、この軍は戦うためではなく、存在を誇示するために作られた軍だからだ。
結論:眠れる龍ではなく、眠れる豚
中国共産党は、外向けには「強大な軍事力」を誇示する。しかし、その実態は腐敗と虚飾にまみれた脆弱な組織である。人民解放軍はもはや「眠れる龍」ではない。肥え太り動けなくなった「眠れる豚」である。 このまま体制が変わらなければ、中国は戦場で崩れるのではなく、自らの内部から静かに崩壊していくだろう。

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