「裸の王様」中国と日本の危うい立ち位置——清朝末期から変わらぬ本質を見抜く

目次

はじめに

中国は欧米も日本も甘やかし過ぎた結果、とんでもない国家になってしまった。アメリカもようやく中国が高度な文明を築いた賢人が多い国家という幻想から目覚め、脅威とみなし始めている。しかし、中国史を詳細に学んだ者から見れば、この結果は予見できたはずだ。

西側の関与政策は合理性を欠いていた

「経済発展すれば民主化する」——この前提で西側は中国を支援した。しかし、これは中国の歴史を理解していない者の幻想に過ぎなかった。

中国は自ら立ち上がったわけではない。日本や欧米がさまざまな世話をして見た目だけ現代人にしたが、中身は昔のままだ。自力で立てないなら、周りはそれなりの支援にとどめておくべきだった。アフリカ支援レベルで良かったはずである。

清朝末期から成長していない中国

中国の本質を理解するには、清朝末期を見れば十分だ。あの頃から中国は中身が成長していない。

  • 外国技術への依存(洋務運動の「中体西用」)
  • 表面的な近代化と制度改革
  • しかし統治の本質的構造は温存
  • 外部からの圧力で改革を迫られる受動的姿勢
  • 自己改革能力の欠如

これは現代の中国とまったく同じ構造だ。試行錯誤で苦労しながら自分の足で立たせるべきだった。

欧米の「東洋の神秘」という幻想

欧米には中国への過度な幻想がある。マルコ・ポーロ以来のエキゾチシズム、古代文明への過度なロマン主義、「13億人市場」への経済的欲望——これらが現実を直視することを妨げてきた。

中国は自ら進化を止めた存在だ。明朝の海禁政策、科挙制度による思想統制、儒教的秩序の硬直化——中国はある時点で意図的に外部との交流を制限し、変化を拒絶する方向を選択した。

痛みを伴う経験の欠如

日本は明治維新、敗戦という二度の根本的な自己変革を強いられた。それは旧体制の完全な崩壊、価値観の根本的見直し、自らの限界と誤りの直視を意味した。

中国は清朝崩壊、内戦、文化大革命など混乱はあったが、統治の本質的構造——中央集権、思想統制、上意下達、面子の文化——は温存され続けた。

痛みを伴う経験がないから、中国は昔のままのやり方を踏襲している。改革開放後、外部の支援で経済成長だけは達成したが、制度改革、法治、人権、透明性などの「痛い部分」は回避し続けた。

現在の中国は「裸の王様」

今の中国を見れば、裸の王様そのものだ。これが中国の限界である。

周囲が利益のために真実を言わず、国内では誰も指導部に本当のことを言えない。統計の粉飾、問題の隠蔽が常態化し、批判的意見は封殺され、称賛だけが届く。本人(中国)だけが自分の実力を過信している。

外部からの技術・資本・市場アクセスという「服」を着せてもらっただけで、自ら織る能力は育たなかった。そして今、その「服」が剥がされつつある。

日本が取るべき道——欧米との協調

日本は中国を擁護してはいけない。欧米から日本は中国と同類と思われる可能性がある。これは国家の命運に関わる問題だ。

なぜ欧米との協調が不可欠か

価値観の根本的違い:

  • 欧米:契約、法の支配、相互主義が基盤。約束は守られる前提で交渉可能
  • 中国:力関係、面子、実利が基準。約束は状況次第で反故にされる

欧米とは話し合いで解決が基本のため、平和的な関係を作れる。中国は話し合いなど通じない。

欧米の価値観にも問題はあるが、批判や修正を提案できる関係であり、基本的なルールは共有している。中国とは、そもそも前提が共有できていない。

日本のメディアの問題

日本のマスメディアはこのことに触れない。中国市場へのアクセス喪失への恐れ、中国当局からの圧力、「日中友好」という建前への過度な配慮——これらが報道を歪めている。

そして何より問題なのは、中国を批判したら「極右」とレッテルを貼る風潮だ。これは論理のすり替えである。

中国政府の政策や行動への批判は極右思想ではない。権威主義体制への懸念は人種差別ではない。国際ルール違反の指摘はナショナリズムではない。

欧米では、リベラル派も保守派も超党派で中国の問題を批判している。それが「極右」扱いされることはない。

公明党の姿勢が示す深刻な問題

2021年、ウイグル人弾圧非難決議において、公明党は中国を名指しすることに反対し、骨抜きの非難決議を作った。「平和の党」を標榜する政党がこの態度を取ったことは、深刻な問題を示している。

真の友好関係とは

本当の友好関係とは、言いたいことを言って、相手が明らかに間違っているなら指摘して批判することだ。

批判を避け、表面的な和を保つのは友好ではない。それは問題を先送りし、悪化させるだけだ。相手の間違いを正す機会を奪い、結果的に相手のためにもならない。

公明党の姿勢は中国共産党への隷属であり、主従関係にしか見えない。これは国政政党として不健全であり、国民は批判すべきだ。

日本の国際的立場への影響

公明党がこのような対応を取ったため、日本は欧米から懸念を抱かれたはずだ。2021年のウイグル決議では、欧米各国は中国を名指しで非難したが、日本だけが中国の名前を外した。この違いは確実に注目され、「日本は本当に価値観を共有しているのか」という疑問を生んだ。

特にアメリカから見れば:

  • 人権問題で足並みが揃わない
  • Quad(日米豪印)の結束への懸念
  • 重要な局面で日本は頼りになるのか
  • 日本国内に中国の影響力があると認識される

公明党は日本の国際的な立場を貶める危険な国政政党である。

国民がなすべきこと

公明党が改善しないなら、危険とカテゴライズして批判し、自省を促すしかない。

民主主義において、政党への厳しい批判と評価は有権者の重要な権利だ。具体的な問題点を指摘し続け、メディアや世論を通じて圧力をかけ、選挙で明確な評価を示す——これらは全て民主的で正当な手段である。

有権者としてできること

  • SNSや投書で意見表明
  • 地元議員に質問や要望
  • 同じ懸念を持つ人々と連帯
  • 選挙での投票行動

政党は有権者の声と選挙結果には敏感だ。具体的な問題意識を持ち、声を上げ続ける国民が増えることが、政党の姿勢を変える最も確実な方法である。

結論——歴史から学ぶ者の責任

中国史を学んだ者には見えている。清朝末期から本質的に変わっていない中国に、最先端技術と経済力を与えてしまった西側の過ちが。

日本は今、岐路に立っている。中途半端な「友好」に固執し、価値観を共有する欧米から疑念を持たれるのか。それとも明確に立場を示し、法の支配と民主主義を守る陣営の一員として責任を果たすのか。

歴史は繰り返す。しかし、歴史から学ぶことで、同じ過ちを避けることはできる。今こそ日本国民一人一人が、メディアの「配慮」に惑わされず、政党の外交姿勢を厳しく監視し、国益を守るために声を上げる時である。

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