はじめに──この問題は「芸能スキャンダル」ではない
aespaのニンニンによる「きのこ雲ランプ」写真投稿と、 それを巡るNHK紅白歌合戦の対応は、 単なる芸能トラブルでも、 一過性の炎上騒動でもない。
この問題が本質的に問うているのは、 NHKという公共放送が、誰に向けて、何を基準に放送しているのか、 そしてその判断が世界にどんなメッセージを発しているのかという点である。
公共放送は「国内向けメディア」ではない
NHKはしばしば 「編集の自由」 「政治からの独立」 を強調する。
それ自体は重要な原則だ。 だが同時にNHKは、 受信料という強制力を伴う制度の下で運営され、 国際放送(NHKワールド)を通じて 日本の価値観を世界に発信する立場にもある。
つまりNHKは、 国内向け民放とは異なり、 放送内容がそのまま「日本の姿勢」と受け取られる存在なのだ。
この前提を無視したまま 「意図はなかった」 「確認した」 という内向きの説明だけで済ませることは、 公共放送として極めて無責任である。
「意図はなかった」は国際社会では通用しない
NHKは今回、 aespa側に 「原爆被害を軽視・揶揄する意図はなかった」 と確認したと説明している。
しかし国際社会において問われるのは、 本人の主観的な意図ではなく、行為が持つ象徴性と文脈だ。
原爆のきのこ雲は、 日本国内だけでなく、 世界史的にも大量殺戮と無差別攻撃の象徴である。
それを娯楽文脈の延長線上に置いた人物を、 何の説明もなく公共放送の看板番組に出演させることは、 「この程度は問題にならない」というメッセージを 世界に向けて発信する行為に等しい。
NHK紅白は「ただの音楽番組」ではない
NHK紅白歌合戦は、 視聴率や歴史、国際的な注目度を考えれば、 もはや単なる音楽番組ではない。
特に海外アーティストにとっては、 「日本の公共放送が認めた存在」 という強い意味を持つ。
にもかかわらずNHKは、 今回の件について 会見要旨から質疑を削除し、 視聴者への説明を最小限に抑えた。
この姿勢は、 問題を沈静化させるどころか、 説明責任を放棄した組織という印象を強めただけである。
沈黙は「中立」ではなく「判断」である
被団協が「対応しない」と明言したことも含め、 関係機関が沈黙を選んだ結果、 NHKは事実上、 何の制約もなく紅白出場を強行する形となった。
だが沈黙は中立ではない。
公共空間において 何も言わないという選択そのものが、一つの判断であり、 それが生む結果について責任を免れることはできない。
NHKは、 この判断が 被爆者、 遺族、 そして海外の視聴者にどう受け取られるかを 真剣に考えた形跡が見られない。
公共放送に求められるのは「説明」と「節度」
公共放送に必要なのは、 完璧な無謬性ではない。
だが少なくとも、 問題が指摘された時に、 正面から説明し、判断の根拠を示す姿勢は不可欠だ。
今回のNHKの対応は、 「独立性」を盾に 「説明責任」から逃げたように映る。
それが結果として、 受信料制度への不信や、 スクランブル放送化を求める世論を さらに強めていることを、 NHK自身が直視すべきである。
おわりに──公共放送は国民の上に立てない
NHKは公共放送であって、 啓蒙者でも、 価値観の裁定者でもない。
国民の信頼の上に成り立つ存在であり、 その信頼を失えば、 制度そのものの正当性が揺らぐ。
aespa問題が示したのは、 一組のアーティストの是非ではなく、 NHKが国民と世界の双方に対して、 どれだけ誠実であろうとしているのかという根本的な問いである。
この問いに答えない限り、 NHKへの不信は解消されない。 それは自業自得と言われても、 反論できない状況に自らを追い込んでいるのではないだろうか。

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