NHK受信料は2か月500円で十分だ――公共放送を公共に戻すための現実的改革論

NHKの受信料は本当に「今の金額でなければ成り立たない」のだろうか。
aespaの紅白歌合戦出場をめぐる一連の騒動は、NHKの編集姿勢や説明責任だけでなく、「公共放送とは何か」という根本的な疑問を国民に突きつけた。

世論の反発が強まる中でも、NHKは「独立した編集方針」を盾に強行姿勢を崩さない。しかし、国民の信任を失った公共放送が、現在の受信料水準を維持し続ける正当性はどこにあるのか。

本稿では、感情論を排し、業務内容とコスト構造からNHKを再設計し、「2か月500円でも十分成り立つ公共放送」の可能性を検証する。

目次

公共放送と娯楽放送は分けて考えるべきだ

NHKが批判される最大の理由は、「公共放送」という看板と、実態の乖離にある。
政見放送、国会中継、災害放送といった本来の公共的役割と、紅白歌合戦や大型娯楽番組が同じ受信料で賄われている現状は、どう考えても不自然だ。

民放と競争するための娯楽番組を作り、その制作費と人件費を「公共放送だから必要」と正当化する構図は、すでに限界に来ている。

公共放送とは「国民生活に不可欠な情報を、編集の恣意性を排して提供する存在」であるはずだ。
ならばまず、公共性の高い業務だけを切り出して考える必要がある。

公共放送に必要な業務は実は少ない

公共放送として最低限必要なのは、以下の三つに集約できる。

  • 政見放送
  • 国会中継
  • 災害放送

これらに共通する特徴は明確だ。

  • 生放送・定点カメラ中心
  • 編集・演出がほぼ不要
  • タレントや高額出演料が不要
  • 視聴率競争が存在しない

つまり、放送局業務の中でも最もコストがかからない分野である。
特に国会中継は、固定カメラと音声設備があれば成立する。実質的には「巨大なライブ配信」に近い。

災害放送は高コスト体制を常時維持する必要がない

災害放送の重要性を否定する人はいない。しかし重要であることと、常時フルコスト体制を維持することは別問題だ。

災害対応は平時には待機、非常時に集中稼働する性質を持つ。
自治体、気象庁、自衛隊など既存の公的機関と連携すれば、常に高給人材を大量に抱える必要はない。

「災害があるからNHKは巨大組織でなければならない」という理屈は、もはや説得力を持たない。

2か月500円で成り立つ現実的な試算

では実際に、どれほどの収入があれば公共放送は維持できるのか。

仮に支払世帯数を約4,000万世帯とし、
2か月500円(月250円)とすると、

250円 × 12か月 × 4,000万世帯 = 約1,200億円

これは決して少ない金額ではない。
娯楽番組、スポーツ中継、海外大規模取材網を持たない前提であれば、政見放送・国会中継・災害放送を維持するには十分すぎる水準だ。

「優秀な人材が必要」という反論への答え

NHKはよく「優秀な人材を確保するために高い給与水準が必要」と主張する。
しかし、公共放送部分に求められるのは、スター制作者や高額プロデューサーではない。

  • 政見放送は制度で公平性を担保
  • 国会中継は編集しないから恣意性が入らない
  • 災害放送はマニュアル運用が中心

これらに、民放並み、あるいはそれ以上の給与体系が必要だとは考えにくい。

スクランブル放送化は「敵」ではなく「正常化」だ

NHKが「独立した編集方針」を主張するなら、なおさらスクランブル放送化は避けて通れない。
国民の選択権を奪ったまま「公共」を名乗ることこそ、最大の矛盾である。

公共性の高い放送だけを低額で維持し、娯楽や独自編集番組はスクランブル化する。
この仕組みなら、政治も世論も強く反発しにくい。

公共放送を守るために、NHKを小さくする

NHK改革とは、NHKを潰すことではない。
むしろ逆で、「公共放送として生き残るために、役割を限定すること」だ。

2か月500円という数字は、過激でも夢物語でもない。
業務内容を冷静に見直せば、むしろ適正水準である。

国民の信任を失った巨大公共放送か、
信任を取り戻した小さな公共放送か。

NHKはいま、その選択を迫られている。

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