第1回では、NHKがもはや「公共放送」と呼べる状態にない理由を整理した。
第2回では、その原因が国鉄末期と同じ改革不能な組織病理にあることを示した。
では最後に問うべきは、これだ。
NHKをどうすれば現実と再接続できるのか。
本当に残された道は「スクランブル放送化」しかないのか。
結論から言えば、これは過激な主張ではない。
消去法の結果として残る、唯一の制度改革である。
人事改革でも、説明強化でも足りない理由
NHKはこれまで、
- 会長交代
- 組織再編
- ガバナンス強化の表明
- 説明責任の強調
を繰り返してきた。
しかし、何一つ本質は変わらなかった。
なぜか。
それらはすべて、
「選ばれなくても成立する構造」
を前提にした改革だからだ。
収益が保証され、
視聴者が拒否できず、
支持率が経営責任にならない限り、
どんな改革も形骸化する。
これは意思の問題ではなく、制度の問題である。
スクランブル放送化とは何か
ここで言うスクランブル放送化とは、
- 見たい人だけが契約し
- 見たい人だけが支払い
- 支持される番組が生き残る
という、ごく当たり前の受益者負担の原則を導入することだ。
重要なのは、
スクランブル放送化=民営化
ではない、という点である。
放送インフラを維持し、
災害報道や重要情報を担いながらも、
選ばれる責任を引き受ける。
これは公共性の放棄ではなく、
公共性の再定義である。
なぜNHKはスクランブル化を恐れるのか
NHKが最も強く拒否する理由は明白だ。
実力が数値として可視化されるから
- 本当に支持されている番組は何か
- 国民はNHKの編集姿勢にいくら払うのか
- 「公共性」は価値として成立しているのか
これらが、言い逃れできない形で示される。
だからNHKは、
- 任意契約を否定し
- スクランブル化を「公共性の破壊」と呼ぶ
しかしそれは逆だ。
選ばれる覚悟のない公共性は、公共性ではない。
国鉄分割民営化との決定的な一致
国鉄もかつて、
- 赤字でも存続できた
- 利用者の評価が経営に反映されなかった
- 内部改革が不可能だった
結果として必要だったのは、
分割民営化という構造の作り替えだった。
鉄道という機能は残し、
国鉄という組織だけを終わらせた。
NHKも同じだ。
- 放送という機能は必要
- だが、今のNHKという組織は修正不能
スクランブル放送化は、
NHK版の「分割民営化」に相当する。
「収益が激減する」は改革の否定理由にならない
よく言われる反論に、
スクランブル化すれば収益が激減する
というものがある。
しかし、それは改革を否定する理由にならない。
収益が減るなら、
それは支持されていなかった現実が表れるだけだ。
支持される番組・機能は残り、
支持されないものは淘汰される。
これは破壊ではなく、正常化である。
公共放送を名乗りたいなら、選ばれよ
最終的に問題はここに尽きる。
- 強制される公共性か
- 選ばれる公共性か
今のNHKは前者で生きている。
しかし本当の公共放送とは、
国民に選ばれ続ける覚悟を持つ存在
である。
その覚悟がないなら、
「公共放送」という言葉を使う資格はない。
結論
NHKに残された選択肢は、実は多くない。
- 内部改革は不可能
- 人事刷新では変わらない
- 制度を変えない限り現実と断絶したまま
だから、
スクランブル放送化一択
という結論に至る。
それはNHKを壊すためではない。
NHKを現実に戻すための、最後の手段である。
公共性とは、守られる特権ではない。
選ばれ続ける責任である。
それを引き受ける覚悟があるかどうか。
今、NHKはそこを問われている。

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