“マーケットが言っている”という逃げ口上——和田憲治氏の経済論が危険な理由

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はじめに:月刊Hanada「欠席裁判」で繰り返される“マーケットの声”

YouTubeの番組「月刊Hanada・週刊誌欠席裁判」では、和田憲治氏がほぼ毎回出演し、政治・経済についてコメントしている。番組の論調の中心人物の一人と言ってよい存在だ。

近年、和田氏が繰り返す“マーケットはこう見ている”という語り口が問題視されている。和田氏はしばしば以下のような言い回しで経済を語る:

  • 「マーケットから見ればこうだ」
  • 「マーケットは円安とばらまきを警戒している」
  • 「マーケットの評価は厳しい」

こうした話法の明確な特徴は、自分の意見を“マーケット”に代弁させることで責任の所在を曖昧にする点である。和田氏自身は「マーケットが怒っている」などの過激な表現を用いないが、慎重な言い回しの裏で結論として「このままではまずい」という危機感へと視聴者を導く構造になっている。

“マーケットの声”という主語のすり替え

「マーケット」という主語は経済評論で乱用されがちだが、和田氏の語り方には典型的な問題が含まれている。

自分の主張をマーケットという“第三者”に押し付ける

「私はそう思わないけどマーケットがそう評価する」といったニュアンスをまとうことで、自分が直接的に発言した責任を回避できる。批判されれば、「私はマーケットの動向を説明しただけ」と切り返せる構造である。

実際には“マーケットの心理”を語っているだけ

金融の現場では心理よりも数値・モデル・金利差が行動を決める。マーケットには集合的な意志や人格はなく、投資家は確率と収益を基に行動する。にもかかわらず「マーケットの考え」として語られると、視聴者は「海外投資家が日本を危険視している」と誤認しやすい。

「マーケットが言っている」=曖昧な責任放棄

マーケットの正体は、利益を追求する無数の投資家とアルゴリズムの集合体だ。
「マーケットが言っている」という主語は、しばしば“自分の見解を覆い隠す装置”として機能する。

イギリス・トラス政権を例に出す“論理の飛躍”

和田氏はたびたび、日本の財政や円安の議論に対して「イギリスのトラス政権」になぞらえる。しかし、日本と英国は構造的に異なり、単純な類推は適切ではない。

トラス政権の事情

トラス政権は大規模な減税を国債で賄う計画を発表し、市場への説明責任を果たさなかった。その結果、国債利回りの急騰と市場の信認低下を招いた。

英国市場の脆弱性

ポンドの流動性や国債市場のサイズは限定的で、小さな不安でも金利に大きな影響を与える。

政策の不整合が致命的であった

政府の財政拡張と中央銀行の金融引き締めという“政策の衝突”が、投資家の不信を一気に拡大させた。

これらの事情を無視して「日本も同じ道をたどる」とするのは論理の飛躍といえる。

日本はトラス政権と違う:構造的な相違点

日本と英国の間には決定的な構造的違いがあるため、単純な比較は誤解を招く。

  • 対外純資産が大きい:日本は世界有数の対外純資産国であり、円安は海外資産の円換算価値を高める。
  • 国内保有の厚さ:日本国債は9割以上が国内保有であり、海外売りが直接の暴落を招きにくい。
  • 日銀の市場機能:日銀は国債市場の安定化に大きな影響力を持っている。
  • 経済の性質:日本は長年のデフレ後遺症があり、インフレ抑制が唯一最優先といえる状況ではない。

和田氏の話法が視聴者をミスリードする仕組み

和田氏の発言を丁寧に検討すると、次のような構造が浮かび上がる。

  • 和田氏は自身の意見を直接的には言わず、常に“マーケット”というフィルターを通す。
  • 視聴者は「海外投資家が日本を危険視している」と錯覚しやすい。
  • 多くの発言は日経新聞など既存メディアの論調の焼き直しであり、自らのデータ検証の痕跡が薄い。
  • いつでも責任を回避できる表現を残すことで、反証に対処しやすくしている。

“マーケットの神話化”がもたらす弊害

日本では「マーケットは怒る」「マーケットが見放す」といった表現が流布しているが、これらは誤解を助長する。

投資家は「怒る」わけではない。利益が出るかどうか、リスクとリターンのバランスに基づき行動するだけだ。数値・金利差・需給・リスク管理が意思決定を左右する現実を無視した“マーケット代弁”は、政策論議を不健全な方向に導く。

まとめ:責任のない“マーケット代弁”論から距離を置こう

  和田憲治氏は「マーケットがこう言っている」という話法を使うことで、自身の主張を外側へ転嫁する傾向がある。しかし、マーケットには人格はなく、「マーケットが言っている」という主語は曖昧な責任放棄につながる。

私たちは、そうした“逃げ口上”に惑わされず、データと構造を基にした冷静な議論を求めるべきだ。メディアの影響力が強い場でこそ、発言の根拠と責任を明確にする必要がある。

(補足)この記事はYouTube番組の特定発言を逐語的に引用するものではなく、番組内の一般的な語り口と論理構造について批評的に整理したものである。

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